なぜ相沢さんがラスボスになったのか?メッセージ編
なぜ相沢さんがラスボスだったのか?
多くの方がラスボス=相沢さんでガッカリされているようです。
そして、色んな「誤解」をされている状態です。
誤解を解く為のストーリー解説は別の記事に書きます。
ここでは「龍が如くスタジオ」が今作「龍が如く5」を発売した時に
かなりの覚悟をもって製作・販売された作品だったかを、お伝えできればと思います。
若い方には今、理解されなくてもいい、それこそ十年後にはしっかりとゲーム産業が
40代をターゲットに出来ている産業であり、ダウンロード方式やゲーム機本体を
引っ張りだしてプレイされた時に評価してもらっても良いという覚悟でしょうか。
「あなたは相沢さんのように”夢”にがむしゃらに向かったか?」が
今作の龍が如くスタジオからの強烈なメッセージの一つだと思います。
ライフが多いのはがむしゃらに、粘って夢に食らいついたか?をなげかける為、
ボタン入力画面が多いのは夢を掴むチャンスを作り出せたか?の問いかけ。
秋山さんの台詞を借りると「自分の夢を掴む為に石にかじりつく勢いだった」をした方なら早い段階で相沢さんに昔や今の自分を投影できたと思います。
皮肉にもそれでも夢が叶わなかった人ほど、桐生さんに立ち向かう相沢さんを見てとれるかもしれません。
夢にむかった人間には「下っ端」から始まる人がかなりだと思います。
その「夢」というのは龍が如く4で秋山さんが語っていた
いい女性を抱きたい、偉くなりたい、お金がほしい、
そういったものも「夢」だと言っています。
その夢を見るために、「神室町」に人が来るとも言っています。
それは龍が如くというゲームのファンが1年に一度の発売を待つような・・・
下っ端になって理解させられる「資産の有無」や「コネ」「持って生まれた才能」の力・・・。
- 経済的理由では進学すらままならない人
- ファッションセンスがないだけで「ダサい」という見た目による上下関係
- 力がないだけでイジメられるという10代の「若気の至り」「許されている暴力」
- 資格取得条件が大学卒業で、その条件を経済的に、時間的に満たせない人
- 実は業界では有名だが「コネ」がないと○団に入れない事を資格取得後に経験した人
- 「多少お金を稼がせてもらったが、全然幸せでない!」といって綺麗さを妬む人(実在の芸能人のコメントを拝借しました。すいません。)
- 未だ「女性」というだけで試験の結果を操作されたであろう方々
列挙しきれません。
龍が如くシリーズでも、「下っ端」スタート故に夢を諦めた人がいます。
- 「家族・仲間」という無形資産を求めた峯さん(死ぬ間際にやっと見つけましたが、やはり悲しいと思います。無形資産の定義は無理やりです。すいません)
- 先生になりたかったが「家族」が病気になり、「家族」が金銭を要求し、「家族」がたすけてくれた今は背中に虎の刺青を入れている冴島さん
- 経済的な理由で学校にいけず、古牧流のみでと言うしかない古牧宗介さん
- レーサーを夢みたが、お金がなくタクシー運転手になった村松さん
- 施設上がりの人間は「夢」さえ見てはいけないと嘆いた桐生さん
家族を太文字にしたのは別記事
なぜラストのバトルシーンが桐生さん、相沢さん、そして遥さんだったのか?
ーーー下書き段階ーーー
に関係しています。
龍が如くのテーマにもなっている「持ってない」「持って生まれた」故に苦しむ人を表現する。
今回はそれを「夢」という形にしているとも思いました。
さすが、「血を継ぎし者」・・・血縁関係だけという悲しさが伝わります。
龍が如くコンセプトの一つが「大人が夢中になれるゲーム」。
大人になったプレーヤーが相沢さんを見て、過去の「夢にむかっていた」自分を投影できるか?
そして操作している桐生一馬のように、若い人に横綱相撲をとるように正面から受け止められる人間になれているか?そんな人間が近くにいますか?という問いかける作品だったと私は断言したいです。
そうでなくては
森永さんが咄嗟に桐生さんに相沢さんを託した事やそのメッセージ、朴さんを使った表現が台無しになります。
今はまだ「夢」を認識できていない人は若いから、生活に追われているから、
家族を守る事も、どんな小さな願いも「夢」だけど「夢」と認識していない、今は遊んで楽しい記憶を作る時期だと思います。
何年後かにゲーム機をひっぱりだしてきて、この作品をプレイした後に
相沢さんや桐生さんの最後の戦いをプレイした時に自分や尊敬する方を
相沢さんや桐生さんを置き換える事ができればいいなと思います。
まとめ:
なぜ相沢さんがラスボスになったのか?のメッセージ
答え
ライフが大きな、何度もチャンスを掴む機会がある程にあなたは相沢さんみたいに夢にがむしゃらになった事がありますか?という龍が如くスタジオからの問いかけ。
そして桐生さんのようにしっかり気持ちを受け取れる人間にプレイヤーがなれているか、またはそんな大人を見つける事ができているか?という問いかけだった。