黒澤さんがした夢に対する暴力とは
龍が如く=暴力の表現です。
「夢」に対しての最大の暴力表現は、黒澤さん・相沢さんだからできたと思います。
親からの無理やりな、選択の余地すらもらえない夢のおしつけ
相沢さんの親=黒澤さんは2つの意味で相沢さんの夢に暴力を使いました。
- 相沢さんの「飛車・角になりたい」に対して「玉将」を押し付ける
- 相沢さんを「バカ」として「バカを操ってなんぼ」の人材を集める
1.は、龍が如く維新での相沢さん(原田さん)の台詞「飛車・角になって」から引用しました。
実は龍が如く維新は龍が如く5の世界観を説明している作品だと思っています。
その根拠一例がこの部分です。
相沢さん演じる原田左之助は以下のような方でした
- 「力こそすべて」という性格
- 新撰組が大きな組織になり、その中で「飛車角のように暴れまわりたい」
- 「大きな」建物が倒れてきた「無残の最期」
この記事ではこれだけ書けば十分だと思います。
相沢さんの「性格」をバカにし、「飛車角」でなく玉を与えた事で、相沢さんは黒澤さんという「大きな」存在が背中に倒れてきた、夢を「無残な最期」にされた人だと思います。最後に仰向けでなくうつ伏せだったのが「乱暴にのしかかって来た」という感じに思えました。
2.は、「バカを操ってなんぼ」の人材=東城会で倒れていた古参幹部達です。
実はこの人達が青山を浮かれさせて代行にし、真島さんが隠れた為に「真島さん死亡」のニュースを流したと思われる方々です。
龍が如く維新では「土佐の老人達」というのがその表現だと思います。
(根拠は別記事にて掲載します)
上記のサイトでは
相沢さんは東城会にカチコミをかけ、古参幹部を倒した
と推測していますが、私はこう考えています。
何も知らずに東城会に行くと古参幹部が出迎え。事の顛末をすべて知らされた相沢さんはその場で激怒し、会議室から古参幹部を殴りかかり、桐生が来てくれるように待っていた。
相沢さんと会議室で会う前に倒れている古参幹部の状況をみれば分かると思いますが、古参幹部は会議室から蜘蛛の子を散らしたように外にでています。
そして激怒した理由は森永さんをバカとして使い捨てたからです。
こちらの詳しい根拠は
なぜ相沢さんが「何も知らずに」ラスボスに「された」のか?
を、ご覧ください。
相沢さんの森永さんに対する説明がチグハクしているのは、八幡さんの時間指定と、森永さんの夢が計画に変更されその中で森永さんが咄嗟の判断で、桐生さんに相沢さんを託した悲しい結果だと思っています。
夢に対しての暴力は、家が恵まれすぎている方がこういった経験をされた方が多いと思います。
また、終身雇用がすっぱりなくなったかのような不安定な時代のなか、
「コネ」があれば使いたい親御さんはいると思いますが、やっぱり決めるのは本人でなければ自分の人生を歩めなくなると思います。
ですが、これが綺麗事だと思ってしまっている自分がいます。
以上が黒澤さんがした夢に対する暴力とはでした。
これから先は私の感情を置いていきます。
幼少期から親、先生、同級生、下級生・・・色んな人から色んな暴力を受けた。
素手や言葉、木刀、勉強ではなく、思想教育 は中学まで。
高校はあだ名「ワースト」からの手のひら返し。私はただ兄貴だと思える友達に勉強教えてただけ。忘れがちになるから書くが、女性は優しかった。
バイトを少ししてでも服に気を回せたのが良かったのかも。
憎かった事ばかり思い出すより、良い思い出を作るのも大切。
経済的抑制は大学入試まで。合格判定にSランクがあると思っていたあの方・・・
大学2年、やっと夢に向かっていこうとした矢先の「夢の押し付け」
何か糸が切れる時って本当に音がなるんだなと思いながら家出した。
本当に一番悲しい事は
あ、この方、私をトロフィーにしたいんだなぁ
と、夢の押し付けを食らった時に思った事です。
この思いがあるから「夢への暴力は夢の押し付け」みたいに書いてしまったのかもしれない。
なぜ相沢さんがラスボスになったのか?メッセージ編
なぜ相沢さんがラスボスだったのか?
多くの方がラスボス=相沢さんでガッカリされているようです。
そして、色んな「誤解」をされている状態です。
誤解を解く為のストーリー解説は別の記事に書きます。
ここでは「龍が如くスタジオ」が今作「龍が如く5」を発売した時に
かなりの覚悟をもって製作・販売された作品だったかを、お伝えできればと思います。
若い方には今、理解されなくてもいい、それこそ十年後にはしっかりとゲーム産業が
40代をターゲットに出来ている産業であり、ダウンロード方式やゲーム機本体を
引っ張りだしてプレイされた時に評価してもらっても良いという覚悟でしょうか。
「あなたは相沢さんのように”夢”にがむしゃらに向かったか?」が
今作の龍が如くスタジオからの強烈なメッセージの一つだと思います。
ライフが多いのはがむしゃらに、粘って夢に食らいついたか?をなげかける為、
ボタン入力画面が多いのは夢を掴むチャンスを作り出せたか?の問いかけ。
秋山さんの台詞を借りると「自分の夢を掴む為に石にかじりつく勢いだった」をした方なら早い段階で相沢さんに昔や今の自分を投影できたと思います。
皮肉にもそれでも夢が叶わなかった人ほど、桐生さんに立ち向かう相沢さんを見てとれるかもしれません。
夢にむかった人間には「下っ端」から始まる人がかなりだと思います。
その「夢」というのは龍が如く4で秋山さんが語っていた
いい女性を抱きたい、偉くなりたい、お金がほしい、
そういったものも「夢」だと言っています。
その夢を見るために、「神室町」に人が来るとも言っています。
それは龍が如くというゲームのファンが1年に一度の発売を待つような・・・
下っ端になって理解させられる「資産の有無」や「コネ」「持って生まれた才能」の力・・・。
- 経済的理由では進学すらままならない人
- ファッションセンスがないだけで「ダサい」という見た目による上下関係
- 力がないだけでイジメられるという10代の「若気の至り」「許されている暴力」
- 資格取得条件が大学卒業で、その条件を経済的に、時間的に満たせない人
- 実は業界では有名だが「コネ」がないと○団に入れない事を資格取得後に経験した人
- 「多少お金を稼がせてもらったが、全然幸せでない!」といって綺麗さを妬む人(実在の芸能人のコメントを拝借しました。すいません。)
- 未だ「女性」というだけで試験の結果を操作されたであろう方々
列挙しきれません。
龍が如くシリーズでも、「下っ端」スタート故に夢を諦めた人がいます。
- 「家族・仲間」という無形資産を求めた峯さん(死ぬ間際にやっと見つけましたが、やはり悲しいと思います。無形資産の定義は無理やりです。すいません)
- 先生になりたかったが「家族」が病気になり、「家族」が金銭を要求し、「家族」がたすけてくれた今は背中に虎の刺青を入れている冴島さん
- 経済的な理由で学校にいけず、古牧流のみでと言うしかない古牧宗介さん
- レーサーを夢みたが、お金がなくタクシー運転手になった村松さん
- 施設上がりの人間は「夢」さえ見てはいけないと嘆いた桐生さん
家族を太文字にしたのは別記事
なぜラストのバトルシーンが桐生さん、相沢さん、そして遥さんだったのか?
ーーー下書き段階ーーー
に関係しています。
龍が如くのテーマにもなっている「持ってない」「持って生まれた」故に苦しむ人を表現する。
今回はそれを「夢」という形にしているとも思いました。
さすが、「血を継ぎし者」・・・血縁関係だけという悲しさが伝わります。
龍が如くコンセプトの一つが「大人が夢中になれるゲーム」。
大人になったプレーヤーが相沢さんを見て、過去の「夢にむかっていた」自分を投影できるか?
そして操作している桐生一馬のように、若い人に横綱相撲をとるように正面から受け止められる人間になれているか?そんな人間が近くにいますか?という問いかける作品だったと私は断言したいです。
そうでなくては
森永さんが咄嗟に桐生さんに相沢さんを託した事やそのメッセージ、朴さんを使った表現が台無しになります。
今はまだ「夢」を認識できていない人は若いから、生活に追われているから、
家族を守る事も、どんな小さな願いも「夢」だけど「夢」と認識していない、今は遊んで楽しい記憶を作る時期だと思います。
何年後かにゲーム機をひっぱりだしてきて、この作品をプレイした後に
相沢さんや桐生さんの最後の戦いをプレイした時に自分や尊敬する方を
相沢さんや桐生さんを置き換える事ができればいいなと思います。
まとめ:
なぜ相沢さんがラスボスになったのか?のメッセージ
答え
ライフが大きな、何度もチャンスを掴む機会がある程にあなたは相沢さんみたいに夢にがむしゃらになった事がありますか?という龍が如くスタジオからの問いかけ。
そして桐生さんのようにしっかり気持ちを受け取れる人間にプレイヤーがなれているか、またはそんな大人を見つける事ができているか?という問いかけだった。
はじめに「龍が如く5 本当のネタバレ」を書く目的
以前、
龍が如く5についての幼稚な考察
というブログを書いていた者です。
2018年10月某日、龍が如く6も発売され、onlineも始動をはじめようとしています。
ですが、龍が如く5は私にとても心に響いた作品だったので
いまさらですが、
- 相沢さんが「まったく知らずに」ラスボスに「された」事。
- 斑目さんと、まゆみさんの本当の関係。
- 黒澤さんがどれだけ深いキャラクターだっかのか。
- 本当は誰が大和田さんにノミを刺したのか?の謎。
- なぜメインキャラの品田さんが「格好悪く」表現されていたのか
- 今作の大吾さんがどれだけキレ者で、黒澤さんがラッキーを拾ったか。
- 森永さんが咄嗟の判断をした瞬間(相沢さんのラスボスにされたにリンク)。
- 罪や汚点を持つ者が主人公になれる世界観で遥が主人公になった意味。
- 真島さんと朴さんの結婚は「布石」だと思った場面。
- 朴美麗に託された「母親」「女性」そして新しい・・・の表現
- なぜ「あの実在人物」を登場させたのか?の謎
- 実は監視されていた○○さんと、監視してた人・・・分かりますか?
などの私の考えを、できるだけ丁寧に包み隠さずに書きたいと思います。
また、今作は龍が如くスタジオの「問いかけ」でもあると思った事があります。
- プレーヤーに龍が如くの「格好良さ」を否定してほしかった事・・・等、メッセージ性が高かった事。
- それらのメッセージや現実世界での世間の反応で桐生一馬の物語をどう終わらせるかを判断していた「空白の2.5年間」だった事。
- 桐生さんの最後をどうするかを決定させたあるシーンを伝えたい。
- 龍が如く「維新」は龍が如く5の説明作品であり、再度の問いかけだった事。
こういった私の意見も書きたいと思っています。
賛否がある今作は龍が如くスタジオは「あらかじめ覚悟して作った」作品だと思います。
もしかしたら皆さんは新しい龍が如く作品をして楽しんでいるかもしれません。
でも私にはできない理由があります。
だからこそ、私自身、この思いや感情をこのブログに置いて
私の新しい門出・・・「夢」を追いかけたいと思います。
よろしくお願いします。
今後、掲示板やツイッターでの皆さんの交流も予定しております。
是非ご参加いただけると幸いです。